勉強ができないのに記憶力がいいので、余計なことは大体覚えている。
七夕の給食、星が入ったゼリーの味、避暑地にある大叔母の家で食べたトマトと大蒜のソースのかかった鳥の香草焼きと客間の布団の匂い、従姉妹叔母が真夜中にプロジェクターで再生してくれたディズニーのクリスマス映画、薄いプラスチックで出来た起き上がり小法師、それが割られたときのこと
誰とも共有しない、共有できない私だけの記憶に関して、これから忘れていくだけなのかもしれないし、それは少しさみしいと、思った。
***以下嘘日記
「私は駒子だから」
「何それ」
「徒労なの」
あの美しい文章の、行間に紛れ込みたい、
酒を飲んで泣いて日記を書く、誰にも見せられない。見せてもいい、見てほしい、見せられない。
薄っぺらい話しかしたくない、わからないなら、わかってほしくない
そういうところ